こんにちは。介護士のyooshです。
うちの家には、0歳の男の子と、2歳の男の子がいます。
2歳の男の子が、1歳になったばかりのことです。
彼は、寝室の電気のリモコン(電気がついている状態で、1回押すと少し暗くなり、2回押すと豆球になり、3回押すと消えるやつ)で遊んでいました。
これはよくある光景でした。
ただ単に触って感触を確かめたり、噛んでみたり。
そんなことをして遊んでいました。
けど、その日彼は気づいてしまったんです。
『リモコンを押す』と電気が点いたり、消えたりすることに。
この因果関係を、彼が発見したときの動画が、僕のスマホに今でも残っています。
とても驚いているし、とても嬉しそうで、とんでもなく良い笑顔をしています。
何度も何度もリモコンを押して、この効果を確かめているようでした。
この時に
『やっぱり人間って、新しい何かを発見すること』に喜びを感じるんだな。
と改めて思いました。
『リモコンを押すと電気が点く』というのは、彼が初めて発見したわけではありません。
もちろんその仕組みを作った人もいて、僕でさえも、『リモコンを押すと電気が点く』ことぐらいは知っています。
彼は、あくまで彼にとって新しい発見をしただけです。
世紀の大発見ではありません。
けど、彼の『驚き』『喜び』『笑顔』を見ると、『学びの本質』が理解できるような気がします。
『学び』って本来は、きっと楽しくて仕方ないものなんだと思います。
『6分』
これは、日本の有業者が1日に『学習』『自己啓発』『訓練』に充てる平均時間だそうです。
(総務省統計局の「平成 28年社会生活基本調査」より)
ここに記載されている『学習』『自己啓発』『訓練』だけが学びではないと思います。
それに、アンケートを受けた人がどういう認識をもって、自分の『学習』『自己啓発』『訓練』時間を捉え、返答したかもわかりません。
けど、単純に短いなあと思います。
本来『楽しくて仕方ないもの』と認識できる『学び』に1日6分しか使わない(使えない)なんて、結構もったいない感じがします。
なんで、こんなことになるのか。
やっぱり他者の『やれ!』のみに従って来たことが、結構大きな原因なような気がします。
『これ好き』『これ大好き』『これ好きかも?』『これオモシロい』『これは苦にはならないな』『これはちょっと嫌いやなー』『これは嫌やー』とかの『自分の声』を聞いて来なかったことが原因ではないかと思います。
他者の『やれ!』と自分の『好き嫌い』は一致しないことも多いと思います。
両者が不一致な状態での『学び』が強いられる。
そして、『学び』はつまらないものになる。
そして、他者からようやく開放された時、自らは『学ばない』状態になってしまうのではないかと思います。
『学び』がなくなると、おそらく『成長』もなくなります。
『成長』が実感できないと、『学ぶ』意欲はさらに低下します。
僕も、結構『言われるがまま』タイプでした。
言われるがまま『学ばされてきた』ためか、『学ぶこと』が苦痛で仕方ありませんでした。
なので、他者から開放された後、自ら『学ぶ』ということは、殆どしませんでした。
『学び』がないので、『成長』の実感もありませんでした。
『成長』の実感もないので、『学ぶ』意欲は更に低下しました。
けど、今は『自分の声』をちゃんと聞くようにしています。
そして、『学び』は『楽しい』ことだと実感しています。
『学ばない』『成長がない』ことは良いことでも、悪いことでもありません。
人それぞれの価値観に任される事柄だと思います。
けど、『本来楽しくて仕方ないもの』が『自分の人生にない』状態って、、、
それは不幸だと思うんです。
うちの子は(うちの子だけではありませんが)
『これ好きー』『これオモシロいー』『これキラーい』とか、自分の声に従って生きているように感じます。
(もちろん他者に気を使っている場面もあるでしょうが)
なので、『学び(新しい発見)』が楽しくて楽しくて仕方ないように見受けられます。
大人はこれでは、ダメなんですかね?
自分の声にきちんと耳を傾ける大人。
『学び』が楽しくて楽しくてたまらない大人。
確かに、あんまり見たことないような気がします。
けど、ダメなんですかね?
僕は毎日毎日『学び』が楽しくて仕方ない大人でいたいと思います。
ソッチのほうが幸せな気がするんですけどね。
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