こんにちは。介護士のyooshです。
先日「夏祭りの飾り付け」という記事を書きました。
詳細は省きますが、この中で「『音楽を流すためにスマホ利用を許可してほしい』と上司に依頼した」という趣旨の記事でした。
うちの施設では、現場でのスマホ利用は禁止です。
けど、職場で音楽を流す時(特にイベントの時なんかには音楽を流すことも多いでしょう)、スマホを使うと色んなメリットがあります。
もしスマホがダメということになると、施設的には
ということになります。
この提案が却下されたら、(もちろん却下の理由にもよりますが)キツイなあと思っていました。
もし「ルールだから」という理由で却下されるとなると、今後もこの施設は
「時間がかかって」
「数の制限もあって」
「しかも有料」
という非合理な事実に対して、変革を行う意思がないと受け止められます。
そうなると、従業員である僕も、この「非合理な考え方の縛りを受け続ける」ことになります。
そうなると、僕は特に「時間的」に大きな制約を受け続けることになると考えられます。
(「お金」は許可さえ降りれば施設が出しますが、「時間を使って行動する」のは僕なので)
そうなると「ここでは働けないなあ」とまで思ってました。
(もちろん他にも合理的な方法もあると思うので、そういった意見が提案が返ってくる場合は別です)
けど、結果的には僕の提案は受け入れられました。
で、現場でスマホを使って音楽を流すことができました。
良かった、、、
僕は「自分の提案が100%受け入れられる」ことは重要だと思っていません。
むしろ他者の意見とぶつかって、より良いモノになることが望ましいと思っています。
もしかしたら、今回の件も
「個人のスマホでなく、施設のタブレットを利用しても同じ結果を得られるね」
「そしたら、個人が加入するサービス(spotify)に依存することもないね」
「なので、施設のタブレットを使ったらどうだろう?」
みたいな、逆提案は考えられます。
アイデアの「ぶつかり合い」から生まれる新たなアイデア。
そしてそのアイデアの実行。
そして得られた結果を鑑みて、また改善。
こうして徐々に状況が良くなっていくことがとても大事だと思います。
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